早くあなたに会いたかった
歳月だけではないでしょう
たった一日っきりの
稲妻のような真実を
抱きしめて生き抜いている人もいますもの
『歳月』(一部抜粋) 茨木のり子
ずいぶん前に、この「歳月」という詩を知った。だが、作者がわからないままだった。今年の春、「私が一番きれいだったとき」という詩に出会う。
わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがらと崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした
わたしが一番きれいだったときまわりの人達が沢山死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった
わたしが一番きれいだったとき
誰もやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差だけを残し皆(みな)発っていった
わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った
わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた
わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった
わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった
だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように ね
わたしが一番きれいだったとき 茨木のり子
「わたしが一番きれいだったとき」の、衝撃。「この人、強い」という印象を受けた。この詩を書いたのが、茨木のり子さんだと知るのに、そう時間もかからなかった。勉強不足、何も知らない私。もっと早く知っていればなぁと思ったけれど、今、このタイミングで知ったのは何か意味があるのかもしれない。そして、たどり着いたのが「歳月」だった。もう何年も前に、この詩に感動していたのに、どこのだれが書いたのかもわかず、だけど心にずっと残っていた。茨木のり子さんを、検索していって、タイトルとそれを書いたのが茨木のり子さんだと分かった。
お休みの日は、充実している。高校からの親友に会いに行ったり、ちょっとドライブしてみたり。こうやって、少しずつ上向いている。少しだけ、自分の生活も変わってきている。考え方も。ただ、あと少し、ほんの少し。何かが変われば、また穏やかな日々が戻る。きっと、その仕上げは秋の札幌で。
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