旅の話 札幌 その1(2018年秋)忙しさにかまけていたら、あの旅行から1か月が過ぎていた。自分の心の中に、納めておいてもいいのだけれど、せっかくなのでここで書かせていただく。10月23日。火曜日。朝一の飛行機に乗るため、関空に着いた。9月の台風の影響で関空へと渡る連絡橋が閉鎖していたのだが、10月6日に開通となっていた。がしかし、混雑が予想されること、関空までの交通費と駐車場代を照らし合わせると、電車の方が安いなぁ…ということになったので、特急「はるか」に乗って到着。ずいぶん昔に乗ったっきりだったので、懐かしくなりつつ。初めての「ジェットスター」だったので、いささか不安はあったものの、快適だった。いつもならLCCを利用しても最前列に座るのだが、今回はパックツアーということで座席も選べない。幸い、通路側であったこととお隣がご婦人二人連れだったので、安心して機内で眠る。寝ている間に、千歳に降り立った。札幌までは、快速エアポートに乗って札幌へ。2年ぶりだけど、変わらない景色に目をやりながら、「ワクワクが止まらない」といった感じだった。そこで、ふと思い出す。「そういえば、この区間で『鯉の養殖所』のようなところがあったなぁ…」と。どのあたりなのかはわからないが、大きな養殖所だったので覚えていたのだ。(ご存知の方います?)思い出してすぐぐらいに、その付近を通った。なくなっていた。看板などはそのままだったが、いけすの水はなくなっていた。もう営業されていないようだった。そうだよな…2年もたてば変わってるところもあるよなぁ…と思い、札幌の街並みも変わっているかもしれないなぁ…と、少し寂しい気分になった。2018.11.22 07:18
揺るがないもの週末、2年前に広島へ引っ越した、Sくん(元同僚)がこちらに帰ってくるというので、元職場の仲間内で集まることになった。私も、ちょうど復職するし同僚たちに会えるのが楽しみに、少し遅れての参加。店に行くと、大人の男女が9人、6人掛けのテーブルにひしめき合って座っていた。いつもの顔。このメンバーで仕事をしていたころは、本当に楽しくて、仕事をしていること自体が楽しくて、仕方なかった。毎月のように飲み会をして、面白おかしく仕事をしていた。私は遅れて参加したので、ほぼ全員が出来上がった状態だった。みんなの、酔っぱらった顔が懐かしい。何もかもすべてが2年前にタイムスリップしたように、空いた時間の溝などないように、自然と違和感なく時間が流れている。みんなそれなりに年を取った。30代前半の子、65歳を過ぎている人、年齢も様々ではあるが、話ができる。誰かが言った「このメンバーが一番いい」と。それは、ここにいる全員が思っている。そして、このメンバーで出来上がった絆が固いこと。面白おかしくだけじゃなく、お互いを認め合って、たまに衝突したりしながら仕事ができるチームは作ろうと思って作れるものじゃない。この2年、他で働いたからわかる。今は、みんなバラバラになってしまったけれど、それでもこうして日々の愚痴や、仕事の話、いろんな話ができるのはこのメンバーだからだ。「うめおかさんも帰ってくるんだし、また集まろうよ」といったのは、一番最年少のUくんだった。そしてこの日、一番酔っぱらっていた。2018.10.21 00:37
夢で見たあの場所に立つ日まで9月に入り、世の中は騒々しくなった。台風が上陸し、私が住んでいる街も、少なからず被害があった。海の空港・関西国際空港と陸地をつなぐ連絡橋は壊れ、多くの人が閉じ込められた。そして、2日後の9月6日、北海道で地震が起きた。停電が起き、暗闇の中、不安と戦ってた人が多くいたこと。幸い、私の知り合い(函館や札幌)は無事。しかし、変わり果てた街を見て、少なからずショックを受けた。「また何にもできない」、震災が起こるたびに感じてきたこと。でも、今の私にできることを見つける出来事でもあった。2018.09.16 02:07
早くあなたに会いたかった歳月だけではないでしょうたった一日っきりの稲妻のような真実を抱きしめて生き抜いている人もいますもの 『歳月』(一部抜粋) 茨木のり子ずいぶん前に、この「歳月」という詩を知った。だが、作者がわからないままだった。今年の春、「私が一番きれいだったとき」という詩に出会う。わたしが一番きれいだったとき街々はがらがらと崩れていってとんでもないところから青空なんかが見えたりしたわたしが一番きれいだったときまわりの人達が沢山死んだ工場で 海で 名もない島でわたしはおしゃれのきっかけを落としてしまったわたしが一番きれいだったとき誰もやさしい贈り物を捧げてはくれなかった男たちは挙手の礼しか知らなくてきれいな眼差だけを残し皆(みな)発っていったわたしが一番きれいだったときわたしの頭はからっぽでわたしの心はかたくなで手足ばかりが栗色に光ったわたしが一番きれいだったときわたしの国は戦争で負けたそんな馬鹿なことってあるものかブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いたわたしが一番きれいだったときラジオからはジャズが溢れた禁煙を破ったときのようにくらくらしながらわたしは異国の甘い音楽をむさぼったわたしが一番きれいだったときわたしはとてもふしあわせわたしはとてもとんちんかんわたしはめっぽうさびしかっただから決めた できれば長生きすることに年とってから凄く美しい絵を描いたフランスのルオー爺さんのように ね わたしが一番きれいだったとき 茨木のり子「わたしが一番きれいだったとき」の、衝撃。「この人、強い」という印象を受けた。この詩を書いたのが、茨木のり子さんだと知るのに、そう時間もかからなかった。勉強不足、何も知らない私。もっと早く知っていればなぁと思ったけれど、今、このタイミングで知ったのは何か意味があるのかもしれない。そして、たどり着いたのが「歳月」だった。もう何年も前に、この詩に感動していたのに、どこのだれが書いたのかもわかず、だけど心にずっと残っていた。茨木のり子さんを、検索していって、タイトルとそれを書いたのが茨木のり子さんだと分かった。2018.09.01 14:12
あの頃の私は可能性ばかりで 今の私は勇気を振り絞るばかりで「どんなに価値観が合っても、相手に『その気』がなければ何も成立しない。そんなことばかり気にしていたら、あっという間におばあちゃん。私は生きたいように、やりたいように生きていく」2018.08.05 07:01
ありふれた人生を探していた 傷つきたくないから 君といる時間は短すぎて来週までもつかなみんな思う道に進めばいい。わがままだっていいじゃない。私は人生の「贅沢な時間」を持つことで、なんとか今を保ってる。2018.07.31 14:34
いまを感じて覚えて何時でも 生きて、生きて、活きて居よう心落ち着かない月曜日、地獄ばっかり見てる。誰も、私が髪を切ったことも、髪の色が変わったことも気づかないけど、それでもいいの。2018.07.23 10:05
急に只寝息が欲しくなっても冷蔵庫にキーは隠さないから安心してください私にとっての特別が、相手には普通のことだっただけで。その先なんて望んではいないから、どうか今のままでいてください。光になったり、陰になったりしながら。私が望んでいるのは、「今のまま」だから。2018.07.21 13:58